教授が常々おすすめしている名著を読んでみました。
1章 ひとひねりした建築
この本の宣言文的な章で、多様性と対立性を備えた建築はそれ自身全体性を有しているとしてポストモダニズムの極めて単純化した形態に反発している。
2章 多様性と対立性VS単純化または絵画風
現代における諸課題は日を追うごとに難解化しており、それに従って建築に対する要求も多様化している。設計者は解決すべき課題を選び取る権利があるが、多くの建築家が曖昧さを避け課題を極度に限定してしまっている。しかし、重要な考慮を排除せずに受け入れようとする建築には、「断片、対立性、即興、またそれらの緊張状態などを取り込む余地がある」。
(多くの課題を考慮した上で単純な形態をした建築もあれば、設計者のただの趣向により複雑化した形態の建築も存在する。)
3章 曖昧さ
前章から曖昧さの重要性が語られているが、曖昧さには良し悪しがある。賞賛されるべき曖昧さは混乱や支離滅裂などではなく、表現上計算されたものである。その二重性は「or?」という接続詞で表現される。
4章 対立性の諸相
建築の意味と用途にみられる対立性の諸相は、「yet(にもかかわらず)」という接続詞によって示されるたぐいの逆説的対比を含んでいる。
両者共存の現象に特有の二重の意味づけにおいては、同一の空間が意味を変えることがある。
「ある時、ある意味が主要なものと思われ、しかし他の時には、違った意味が卓越しているように思われることがある。」
5章 続・対立性の諸相
「二重の機能をもつ」要素と「両者共存」の違いについて。
二重の機能をもつ要素はどちらかというと個々の使われ方、構造に関係しているのに対し、両者共存は全体に対する部分の関係に関わっている。
最近の建築には二重の機能ばかりか、修辞的要素があるものもまれである。(ミースがカーテンウォールのマリオン等に用いた修辞的なI形鋼は例外である。)
6章 つじつま合わせ、並びに秩序の限界
秩序について。
「対立性は、ほとんどの点で首尾一貫した秩序の一部を手直しし、そこに例外的な不整合を持ち込んだり、または全体をおおう秩序のすべての部分において不整合を提示することもできる。前者の場合、不整合と秩序との関係は、ある状況の下では必要な秩序からの逸脱とつじつまを合わせたり、または、一般の要素と特殊な要素を並置したりするものである。そこでは、まず秩序が定められ、その後壊されるのであるが、秩序自体が脆いからではなく、むしろ強固であるがゆえに壊されるのだ。私はこうした関係を「つじつまを合わせた対立性」として述べた。全体の内の不整合の関係を、私は、前章で述べた「複雑な全体」の現れであるとかんがえている。」
多くの建築家は標準化された工業製品を嫌うが、アアルトの作品のように文脈に合わせた適用の仕方であれば、標準化の秩序を変えることができる。
7章 調整された対立性
周囲に合わせて対立性を調整することもデザインの役割である。(コルビュジエのサヴォア邸の柱配置は調整されているが、シャンディガールの議事堂においては調整されていない。)
シンメトリーを崩す操作は窓によく現れる。(ヴェンチューリ本人も、母の家においてシンメトリーの破壊を試みている。)
「アアルトやコルビュジエの多くの作品においては、標準的な技術による直交線と、例外的な状態を表現する斜めの線との間に、均衡もしくは緊張が得られている。」
例外を規則と化してしまう考え方は都市にも適用される。そのため、見せかけの統一性をもった都市(同じ形の家が並んだ団地など)は本当の都市とは言えない。
8章 並置された対立性
ここでは、主に面における対立性に言及している。(装飾のスケールの不一致や二重ファサードの内部と外部の不一致など)
「脈絡なしの隣接は排他的というより包括的である。それは、対立もしくは相容れない要素を関連づけることができ、また全体の中に対立するものを含むこともでき、有用な誤謬を受け入れ調整することもできるのだ。」
9章 内部と外部
現代建築において(フローイング・スペースの考案により)内部と外部の連続性が獲得されたが、ここでは古来からある、閉鎖的で外部と対立的な内部空間について考察する。
建物の内外の対立性を生む方法としては、
・空間の中に空間をつくる
・外側の形と内部空間を対比的なものとする
・外壁と内周面とが離れていてその間に空間ができる(Plan diagram)
といったものがある。
残余空間(ポシェ)は室効率の観点から厄介者扱いされることが多いが、外部とは異なる内部空間を保とうとする副次手段のひとつである。
内部と外部との空間上の要求の間に対立が生じ、その結果前後が対比的に処理されることがある。それはポシェや見せかけのファサードであったり、アメリカの「プロップ・アーキテクチャー」であったりする。
「外と内が異なるものだとしたならば、その接点である壁こそは何かが起こるべきところであろう。外部と内部の空間や用途上の要求が衝突するところに建築が生ずるのだ。」
10章 複雑な全体を獲得する責務
本著において複雑な統合の重要性を説いてきたが、複雑な全体を獲得する手段として、
・ひとつかたくさんかの両極端または三位一体
・二重性とその解消
が挙げられる。
二重性の解消には「屈曲」が用いられることがある。(屈曲とは、部分の位置や数よりも個別の性質を利して全体を暗示する方法。)
他方、多様性と対立性の建築は表現上の不連続性を容認しうる。
「槇文彦の言う「グループ・フォーム」にも、ある種の暗示的な連続性ないしは屈曲が見出される。…(中略)…彼は、「グループ・フォーム」の他の特質として、建築における屈曲を暗示させるようなものを挙げている。基本となる部分の一貫性と、それらの連鎖的な関係の故に、時とともの成長、一貫した人間的スケール、構成体の固有の地勢に対する配慮が可能になるのだ。」
対になったものを結びつけるものとしての支配的な結合要素は、二重性の解消手段としては屈曲よりも容易なものである。
多様性と対立性の建築は解決のつかない状態を容認する(未完を良しとする)。
「おそらく、私たちは、たとえ粗野で見過ごされ易いものであろうとも、日常の景観の中から、都市を構成する建築にとって有効で力強い、多様で矛盾し対立する秩序を引き出すことができるだろう。」
本著は純粋主義やポストモダニズムといった近年の建築における単純化の傾向に警鐘を鳴らしています。しかし、簡潔なデザインでも多様性と対立性を含んでいるものや複雑な形態でもハリボテであるものなど、鋭い洞察により建築が例示されています。
建築のデザインは「美しい」ことだけが良いわけではないし、かといって何の調整もなされていないものもデザインとは言えない。課題を排除しすぎた建築は一見完成しているように見えるが、多くの課題を扱い未完状態の建築の方が深みがある。
日々の設計において、我々はどうしても「かっこいい建築」を作ろうとしてしまうけれど、結果的にできたものがいい空間、使いやすい建築でなければ意味がないですね。本著では「利便性」には触れられていませんが、(ファンズワース邸が訴訟されたように、、)極度に単純化した建築は大事な部分まで削ぎ落としてしまっている場合があるのでしょう。
ヴェンチューリも言及しているように、現代の諸課題を建築で解ききることはできないけれど、できる限り考え続けることが重要だと感じました。