4編全てが沖縄を舞台とした話で、(私はまだ訪れたことがないが)沖縄に旅行したような気分になる。
この本の中で沖縄は、(多くの観光客にとってそうかもしれないが、)東京の現実からひととき離れるための「つかの間の楽園」のように描かれているが、それと対照的に東京はかなり冷ややかに表現されている。
東京は往々にして、味気ない都市として描かれ、また実際にそう感じている人が多いのはなぜだろうか。
満員電車は東京の象徴とされるがインドの電車なんて超満員だし、コンクリートでできた都市というが、戦後発展した都市はどこも似たようなものではないか?
私が知らないだけで、ほかの都市もこういった精神的問題を孕んでいるのかもしれないが、東京においてのこれは日本人の器質的な原因が大きいのだろう。集団に馴染むことが良しとされ、逸脱するものを許容できない日本社会に対して窮屈さを感じているように思う。
この問題に建築を職とする(であろう)私は何ができるだろうか。これは以前から考えていたことにつながり、所謂「はみ出しもの」の居場所を作りたくて、設計課題などで精神病や介護などを扱ってきた。こうしたマイノリティの建築に、デザインするということの価値があると思っている。
私自身、最近は家で一人で過ごすことがほとんどで、授業や課題の締め切りもなく、「何もしない」時間が前より増えた。
ゆったりしていて心地よくはあるが、社会から取り残されていくような気がして少し焦ってもいた。
しかし、本書の中の時間はとても緩やかに流れていて、読んでいるうちに焦っていることが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
着の身着のままに、ふらりと生きて行きたくなる一冊である。