文庫本5巻にわたる、ドストエフスキーの大遺作である。
本文を読み終わった瞬間にあった「言葉にしきれない何か」は、5巻の訳者の解題にて語り尽くされているため、そちらを読んでいただきたい。
ここでは、テーマの要約と個人的に気になった視点を書き留めておく。
主題は「父殺し」であるが、他にも神の存在・不在をはじめとする様々なテーマが内包されている。
・テーマ・モチーフの反復と差異
「甘いもの」や「足が悪い」などの同じ要素を、小説内の別の人物に反復して用いている。その際、各表現では果物や病気の種類を変えており、モチーフの反復の中にも差異が生まれている。
・小説のポリフォニー性(→同時性、多元性)
カラマーゾフの兄弟はまた、プロットの面白さが際立つ作品である。基本はアリョーシャを軸に物語が進んでいくが、一方で登場人物たちの行動が小説全体に布置されている。アリョーシャの二人の父が同じ日の始まりと終わりにこの世を去るなど、一見すると分からないようなところに象徴的な同時性が仕組まれている。
小説全体において「物語層」「自伝層」「象徴層」の3層構造が貫かれており、(それぞれミーチャ、イワン、アリョーシャと)3層構造の各層に主人公がいる。生と死や神の存在・不在など二元論的なテーマが多いが、登場人物たちはその両極には立たない。別の登場人物などによる相対化をすることで、各登場人物の善悪のバランスを取っており、ここにもポリフォニー的な細工がなされている。
・音楽的観点
訳者は解題にて、この小説を「音楽的」と評している。(以下解題より)
小説全体の構成は4部+エピローグからなり、古典的交響曲の構造を想起させる。
第一部:アレグロ・コンブリオ
小説全体のテーマである「父殺し」が暗示的に示され、主となる登場人物たちにより様々な伏線が配される。
第二部:アダージョ
「大審問官」と「ゾシマの談話」、「脇役たち」とサブプロット
第三部:スケルツォ
ミーチャを中心に事件が起こるダイナミックな場面。
第四部:モデラート・マエストーソ
作品全体(第一の小説のこと;第二の小説は作者の死により実現されなかった)の完結部。「父殺し」に事件が、二つの側面からそれぞれ対立する精神と法のドラマとして描かれる。
エピローグ:コーダ(ベートーヴェン第九「合唱」のような)
第二の小説につながる部分。
主部とは趣が異なったパートだが、「カラマーゾフ万歳!」のシュプレヒコールは、まさにシラーの「歓喜に寄せて」の小説的再現と言える。
このような視点から改めてこの小説を見返すと、確かに、先に述べた「テーマを反復する」というのは音楽において(ベートーヴェンの「運命」のように)同じテーマフレーズを反復するのに似ているし、ポリフォニーも音楽的な語である。ドストエフスキーが指揮者となり、登場人物がオーケストラの各楽器のように音楽を奏でているように見えてくる。