国立新美術館にて、李 禹煥の企画展をみてきた。同時開催されていたルードヴィヒ美術館展からはしごしたので、やや疲弊しつつ展示室に入ったが、全て見終わる頃には頭が空っぽになり、逆に疲れが取れた感じがした。
最初の展示室からは、暖色の光が漏れていた。中に入ってみると、カラフルな照明があるわけではなく、ピンクやオレンジといった微妙に色の異なる蛍光色でそれぞれ塗られた大きなキャンバスが3つ置かれているだけだった。展示室自体が色づいている様子は、(訪れたことはないが)ルイスバラガンのヒラルディ邸のようだと思った。
「もの派」の表現の到達点として、「つくり手の意志を超える」というものがあるという。しかし、李の作品は偶発性の芸術という訳ではなく、むしろ緻密に計算されている。
「もの」が空間内の絶妙な位置に置かれることで、その他の空間が効果的な「余白」となる。繊細な感性のもとレイアウトされた空間には緊張感が漂うが、同時に瞑想空間のような落ち着きも感じられ、数少ない「もの」に凝縮されたパワーを感じる。
「もの」の素材としては、石やコールテン鋼といった硬い材料を多く用いている。石の重さでガラスが割れていたり、ステンレス棒やコールテンの板が、石に反応してまるで柔らかいもののように曲がっていたりと、操作はシンプルだがそれ故印象的だった。
一方、綿など柔らかい素材を効果的に使用することで、表現の幅を拡張している。
李は素材の特性も表現に盛り込んでいる。ゴムのメジャーは、伸縮するゴムという素材により、そこに刻まれたスケールが意味をなさなくなっている。
展示室いっぱいに石が敷き詰められた空間があった。これはラトゥーレット修道院の展示を再現したものとのことで、洗練されたコルビュジエの建築に対して、石を敷き詰めた野性的な空間を演出しているそう。
歩く度に音が鳴り、自分の足音と他の人の足音が小気味よくリズムを奏でる。
李 禹煥はものだけでなく、抽象画にも挑戦しており、作品が時系列で紹介されていた。
初期はキャンバスにひたすら点を打っていくもので、時間性や無限性を、インクの減りによって表現している。(建築界でも、ダニエル・リベスキンドが「点・線・面」という考え方を提唱しており、通ずるところがありそうだと思った。)次第にそれが伸びて線となり、点と線が野性的に錯綜する作品を経て、その空白との呼応性に帰着、キャンバス外の空間とも呼応するものとなった。
最終的には壁に直接ストロークを描いている。点と線のあいだのような長さのストロークが一本だけ引かれていて、余白は空間全体にまで拡張している。